七夕の織姫と彦星の物語。年に一度しか会えない夫婦の短冊の願い。

もうすぐ七夕ですね。

織姫と彦星の物語って子供心にロマンチックな話だなと感じたものです。

で、大人になってから子供にどんな話なのか聞かれて改めて調べてみると、もともと中国の古くから伝わる話と、日本に昔からある話と少し違ってたりして面白いなと思いました。

また七夕のお話は中国から、長い年月で色々な地域に広がって、話も地域によって変化したようですね。

ここでは、日本版と中国版を少し見てみたいと思います。

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七夕の織姫と彦星の物語

【日本版七夕物語】
七夕物語は牽牛(彦星)と織姫の悲恋の物語ですね。

これは中国が発祥の話で天川の両岸に暮らす二人が一年に一度、七夕の夜だけ会うことが許されるというもので、夫の彦星は織姫に会うことを短冊に願って笹の葉に飾る、ということから七夕の飾りつけが行われるようになったのです。

ところが日本の室町時代のお伽草紙にある「たなばた物語」は少し違うストーリーなので面白いのです。

日照り続きに悩んだ地主が、雨を降らせてほしいと祈ると、大蛇が現れお前の娘のうち誰か一人をくれたら雨を降らせることを約束するのです。

地主がそれを承知すると、その夜から雨が降るのですが、3人の娘はみな蛇の嫁になることを嫌がります。

結局末娘が嫁ぐことになり、川のほとりの小やで蛇が来るのを待っていると、蛇が現れて「私の首を切れ」と娘に命令します。

末娘が言われたとおりにすると、蛇は美男子に変身し「私は、天若彦だ」と名乗りました。

その後末娘は天若彦と幸せに暮らすのですが、父親に会いたくなった娘が里帰りを願うと、天若彦は一週間以内に帰ってくることを末娘に約束して送り出してくれました。

末娘が家に帰ると、家にいた長女と次女が意地悪をし、一週間以内に返してくれなかったため、娘が家に帰ったときには、天若彦はいなかった。

そこで、末娘は天に昇って夫である天若彦を探し出すのですが、舅は過酷な試練を末娘に与えます。

末娘がその試練を果たすと、「よかろう、ただし、息子(天若彦)に会えるのは年に一度だけだ」と売りを割って大きな川を作り、天若彦と末娘を分け隔ててしまったのです。

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日本では、古来田植え前に聖なる機織り娘が川辺の小屋で神を迎える風習があり、その機織り娘のことを「棚機女」と呼んだりします。

日本版のたなばた物語はこの行事を物語化したものとも考えられています。

いかがでしょう、日本版は一般的な七夕物語と違う雰囲気ではないでしょうか。

七夕の織姫と彦星。一年に一度しか会えない夫婦

【古代中国の七夕物語】

これに対して、古代中国の物語のほうが子供のころ聞いた話に近い気がします。

中国のお話しはこうです。

むかしむかし、天の神さまに織姫という美しい娘がいて、その娘は機織りの名人でした。

織姫が織る布は、大変見事なもので、働き者の娘は毎日一生懸命機織りに励んでいました。

そんな娘のために天の神様は、お婿さんを探してきたのです。

それが彦星でした。

彦星は牛飼いの若者でとても働き者でした。

そんな二人は、出会ってすぐに恋に落ち、幸せな生活を送ったのですが、二人はお互いが好きになりすぎていつも川のほとりで話をするばかりになってしまいました。

織姫は機織りをしなくなり、彦星も牛の世話をしなくなってしまったのです。

そんな二人に怒った天の神様は、二人を天の川の東と西に離れ離れにしてしまいました。

二人の嘆き悲しむ姿に、天の神様は年に一度7月7日に会和せてあげることを約束します。

この日は、カササギの群れが天の川に橋を架けてくれ、二人の再開を助けてくれるのです。

七夕の織姫と彦星。短冊で妻に会うことを願う夫。

七夕には、短冊に願いを書いて笹の葉へ飾る風習がありますが、これは、
彦星は織姫に会うことを願い、短冊に願いをかいてささげたことに由来しているともいわれています。

愛する妻に会うことを願って短冊を飾るなんて、なんとロマンチックな旦那なんでしょうか。。。笑

まとめ

いかがでしょうか。

子どものころよく聞いた童話などのお話も大人になって改めて見返してみると新たな発見とかがあって面白いものです。

世界各地で少しずつ違う織姫彦星のお話があるようですので改めて探してみるのも面白いかもしれませんね。

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