秋から冬にかけてはさつまいもの季節ですね。
私、さつまいもが大好きで、この季節になると新しいさつまいもが出てくるのですごく楽しみです。
栄養豊富で美味しいさつまいも。
では、なぜ、さつま いも というのかご存知でしょうか?
薩摩が原産なのでしょうか?
日本におけるさつまいもの名前やルーツについて少し見てみたいと思います。
さつまいもの由来 名前について?
今でこそ、日本は豊かで、いかにカロリーをとらないようにするかに皆苦労していますが、実は、日本ではほんの少し前の時代まで食べものをいかに確保するかが人々にとって最も重要な事柄の一つ、という世の中でした。
食べ物がなくて飢え死にする人が出るなんて、今では想像もできないですが、そういう時代もあったのです。
さつまいもは、そういう厳しい食糧事情の中で、沢山の日本人を救ってきた食べ物の一つと言えると思います。
また今でも、日本以外の国では、まだまだ食べ物が十分にない国があるのが現実です。
荒れ地で育ち、栄養価の高いさつまいもは、そういう国々からも注目されている農産物の一つです。
さつまいもの原産地
元々の原産地は、南米と言われています。
長い年月をかけて世界中に広まっていったのですが、中国には1500年代後半にフィリピン経由で伝わったとされています。
陳振竜なる商売人がフィリピンで栽培されていたさつまいも(甘藷)をみて、荒れ地で育ち、生でも煮ても食され、その栄養たるや穀物に匹敵する作物であることにおどろき、これを持ち帰り中国で広めたそうです。
さつまいもは日本には沖縄経由で入ってきた
中国でも瞬く間にさつまいもは広まったそうですが、その後、中国と貿易のあった沖縄(琉球)から中国へ渡った野国総管と呼ばれる人物が沖縄へ持ち帰ったのが、さつまいもが日本へ伝わった最初と言われています。
因みに、野国総管というのは役職の名前で、このさつまいもを日本に持ち込んだ人物というのは、名前もはっきり分からないようです。
当時の沖縄は琉球王国と言って、独立した海洋国家として中国貿易により繁栄していたそうです。
ただ、台風による被害で穀物を育てるのが難しい土地柄のため、食糧確保は重要な国の課題の一つでした。
そういう事情もあって、荒れ地で育つさつまいもは沖縄では大変貴重な食料として広まりました。
那覇には、沖縄にさつまいもを持ち込んだ野国総管を祀る石碑まであるほどです。
そして、沖縄から島つたいに九州へ渡ってきたのが、さつまいもの日本への伝播のルートのひとつと言われており、これは1600年代前半から半ばと言われています。
当時の日本は、江戸幕府による厳しい鎖国の時代で、貿易も制限されていました。
そういった中で、琉球王国を支配下に置いた薩摩藩に、琉球王国との貿易を通じてさつまいもは入ってきたと言われています。
九州から日本全国へ
九州でもさつまいもの栽培はまたたく間に広まりました。
また、江戸時代におこった大飢饉の際、さつまいもの栽培がされている地域では、被害が少なかったということがあったそうで、その後さつまいもの普及が全国的に進みました。
その時の種イモの多くが、薩摩産だったことなどから、さつまいもという呼び方が一般的になっていったと言われています。
このように、中国から沖縄に入ってきたさつまいもは、九州、薩摩の国で広がり、そののち日本全国で栽培されるようになったのです。
というわけで、少し長くなりましたが、さつまいもの、さつま、というのは薩摩藩のことを言うのです。
さつまいもの由来 甘藷とは?
さつまいも、というのは日本独自の呼び名(「さつま」ですから。。)です。
元々の中国や、沖縄などでは、甘藷、もしくは唐いも、などと呼ばれています。
さつまいもの由来 唐いもとは?
このように、中国から来たいもですから、唐いもなんですね。
まとめ
いかがでしょうか。
さつまいもの日本における由来や歴史ですが、上記に記したのはいくつかある、さつまいもの伝播の説の一つです。
九州で広まったのは間違いないのですが、その後日本全国へ広まっていったのは色々なルートがあり、これ!というのは正確な記録としては分からないそうです。
ただ、各地でさつまいもを広めた人が尊敬されたり、偉人としてまつられたりしていることから、いかにさつまいもが人々にとってありがたい食べ物だったのか分かります。
スーパーで売ってる美味しいさつまいも、栄養豊富で遠い昔から日本の繁栄に多大な貢献をしてきた食べ物なんだ、と思うとまたありがたみが変わってきますね。
以上ご参考になれば幸いです。
ありがとうございました。
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